源氏の嫡流、八幡太郎義家の弟である
新羅三郎義光から始まり、その長男が佐竹氏、次男が武田氏。

源義満、義清親子がこのひたちなか市武田の地に領地を得たのが武田氏の始まりなんだそうだ。
館跡が復元ざれているというので訪問してみることにした。

googleで検索すると電話番号が載っていたので、
私の車のカーナビにセット。
(スマホのカーナビでもいいのだが、ちょっと運転時の操作性に問題があると思っている)

カーナビの指示通りに進むと田んぼの細道に案内される。
どうも自分がいる場所が崖の下だが、この上にあるようだ。
ブラタモリでも言っていたが城などは台地のヘリにあることが多いようだ。

少し戻って住宅街を抜けやっと現地に到着。
こじんまりした館跡である。当然のごとく我々以外に客はいない。

内容はパネル展示や人形による親子の再現など。
山梨には周辺とのいさかいで流されてきたそうな。山梨田舎だもんね。

山梨には市川三郷町に最初の館跡があり、その子孫たちが築いた武田八幡宮などの史跡が韮崎市にある。
どちらも訪問したことがある。

武田信玄からさかのぼる400年前の話だから、
我々が武田信玄の時代に遡るのと同じような時間軸。